医療統計学:経験の理解

統計学セミナー

医療統計学:経験の理解

 

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経験の理解

 

人類がだんだん賢くなり、私たちをとりまく環境に対し多くのコントロールが可能になったのか、経験から多くのことを学んだからです。

 

これは人類の何世紀にもわたる発展についていえることです。

 

また、私たち自身の生涯における個人としての生活においても同様のことがいえます。

 

幸いにも、私たちには物事を認知する能力が与えられています。

 

私たちは、まわりをとりまく世界にいる人々や物事や出来ごとを観察します。

 

そして、それらの類似性や相違を、そしてそこに見られる傾向や規則性を認知します。

 

それらが私たちに害を及ぼしたり、あるいは反対に利益になったりするときには、とくにそれがいえます。

 

日常行う観察においては、数を数えたり、あるいは測定したりすることは頻繁にあります。

 

私たちはそれらをおおまかに、かつ直観的に行うあまり、数量化の習慣をほとんど意識していません。

 

それにもかかわらず、私たちの観察や比較は「どれくらいの量があったか」、「どれくらい大きかったか」、「どれくらいの頻度であったか」、「どんなにむずかしかったか」、「いかに速かったか」あるいは「いかによかったか」などの言葉を用いて表されることが多いです。

 

観察は一つのものや人や出来ごとについてなされることもあります。たとえば、ある畑における本年度のじゃがいもの収穫高に注目するといった場合です。

 

また、一つのものについて幾種類かの観測値を得るということもあります。

 

たとえばこの畑において、収穫高のみならず、同時にどれだけの肥料が用いられたか、土壌の性質はどうであったか、日光や雨量はどの程度であったかなどを観測するような場合です。

 

さらにときには、ある面では似ているが他の面では異なる複数個のものについて観察がなされることもあります。

 

たとえば、いくつかの畑における今年度のじゃがいもの収穫高を観察することもあれば、一つの畑における幾年かの収穫高を続けて観察するということも考えられます。

 

かくして、一つの個体に関して幾度かの観察を行うこともあれば、いくつかの個体に関して観察を行うこともありえます。

 

いずれにしても、その結果観測値の集合を得ることになります(あるいは、専門用語を用いて言えばデータを得ることになります)。

 

われわれはあたかも本能的に、偶然注意をむけることになったこの事象に、関連やパターンや類似性や相違等を捜し始めます。

 

そして、そのデータに関して自問自答します。

 

たとえば、じゃがいもの収穫に関するデータ間に何らかの関連を見出そうとすれば、いったいどのような質問が考えられるでしょうか。

 

次のような質問が考えれられます。

 

本年度は、すべての畑において収穫が一様であったでしょうか。あるいは、この畑における収穫高は毎年一定でしょうか。

 

もし一定でないならば、それはなぜでしょうか。それらの畑や年度についてどのような相違があったために収穫高の相違が生じたのでしょうか。

 

このような質問は、すべてが次のより重要な質問のためのものであるといってもよいでしょう。

 

すなわち、「この一塊のデータ間に見出された関係から、将来より効率的に行動するために何を学びうるであろうか。」

 

これが、統計学の必要とされる所以です。統計学は観測値の集合を理解する手段として研究されてきた。

 

その目的は短絡的な結論を避ける手助けとなり、われわれの通常限られた経験を注意深く一般化することにあります。

 

この一般化の傾向は、われわれの日常生活にとって、本質的な役割を果たします。

 

ある特別の畑は、ある種の肥料を施されたところ、例年より多くのじゃがいもの収穫がありました。

 

それゆえ、これを一般化し、他の畑もこのように処理した場合には、いつもより多くのじゃがいもの収穫があると言いたくなります。

 

読者はこのように一つの畑における経験から、それを一般化してもよいと考えるでしょうか。また、その理由はなぜでしょうか。

 

実際、このような一般化は危険です。まったくの誤りという可能性もあります。というのは、収穫が多かったのは、肥料のせいではなくて、天候がよかったためかもしれません。

 

それゆえ、たとえ同じ畑で同じ肥料が施されたにしても、翌年にはまったく異なる収穫をもたらすということは十分考えられます。

 

すなわち、われわれは早合点して誤った結論を導いたことになります。

 

そして、他の畑に関していえば、土壌の種類とか、前年度の作物の成長具合とか、近くの畑における病気の流行といったような、じゃがいもの収穫高に影響を与えうる諸々の要因が、この畑とは異なっている可能性もあります(それゆえ、そう簡単に一般化はできないということになります)。

 

つまり、ある年のある畑についてあてはまることが、たとえ同じ畑であっても年が違えば必ずしもあてはまらないわけですから、他の畑についてはなおさらあてはまらないわけです。

 

もし、より確信をもって一般化したいならば、より多くの経験が必要とされます。すなわちより多くの観察が必要となります。

 

より多くの畑を幾年にもわたって見れば、それだけ他の同様な畑におけるじゃがいもの収穫がどのようであろうかを確信をもって予想できます。

 

しかし、上の文章の「どのようであろうか」という言葉に注意してください。

 

「もっともらしさ」あるいは「可能性」(すなわち確率)は、世の中についての統計的なものの見方の中心となるものです。

 

それは特に個々の人間や事象について考えるとき、100パーセント確かということはありえないということを認識するものです。

 

たとえば、ある種の畑は、もしある種の方法で処理されたならば、より多くのじゃがいもの生産が期待できるということは、”一般的には”ありえますが、そこには多くの例外もあります。

 

さて、以下の二つの場合、どちらが正しい予測を行いうるでしょうか。

 

(a)あるタイプの畑は、各々しかじかの方法をとり扱われたならば、一般的にいってより多くの収穫高をもたらすと予測します。

 

(b)任意に選んだ特別な畑において同様のことを予測します。

 

おそらく(b)よりも(a)の方が的中しやすいでしょう。このような畑は、一般的に(たぶん十中八、九までが)予想した通りの結果をもたらします。

 

がしかし、読者がたまたま選んだ特別な畑も予想どおりであるというわけにはいきません。

 

後に見るように、統計学とは(一般的にいった場合、そして長い目で見た場合)事象間の信頼するに足る規則や関連を探し出す手助けとなるものです。

 

しかしながら、それらが任意の特別な個体についても同様に成り立つことを安易に期待してはならないということを教えてくれます。統計学の主たる目的は、

 

1)私たちの経験を要約し、それによって人々がその本質を理解することができるようにする。

 

2)そこで要約された事実に基づき、その他の(おそらく将来の)状況においてどのような結果が得られるかを推定、あるいは予測する。

 

の2点につきるわけです。

 

私たちが日常会話において普段行うよりも正確に要約し、予測することを可能ならしめる統計的概念について学ぶことは大変意義があるわけです。

 

 

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